2ntブログ

十月兔

強制女装を中心とした小説・イラストのブログです。

2009-08

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

乙女座の園 第6エリア(4)


 (4)

 そんなこんなで良介は今週中、水曜から金曜まで、ごく普通の男物スーツで働いた。良介に対するまわりの態度も、留美の態度が若干硬くなった程度で、今までとあまり変わらず、彼はほっと胸をなで下ろした。
 そうして3日間勤めて、休日の土曜。恋人もいなければ趣味もない良介は、午前中いっぱいかけて部屋の掃除と日用品の買い出しを済ませ、午後はテレビを見ながら、のんびりしていた。
 といっても、心からくつろいでいるわけではない。水曜に社長から聞かされたシリアスな話を思い出していたのだ。
(確かに……なんで、女装を恥ずかしいと思うんだろうな)
 良介も、他人が女装している分にはあまり気にしないだろう。確かに多少の好奇心が疼くのは否定できないところだったが、バカにするつもりもないし、似合っていればいいのではないかと思っている。しかし、自分がすることを考え合わせると、それはそれで問題だ。
 第1に、馴れの問題だ。男性の衣服の場合、よほどのことがない限り肌を露出し、身体のラインを見せることはしない。脚は特にそうだ。しかし女性の服は肌を見せるものが多いし、ミニスカートともなれば、構造そのものからして脚を隠してくれない。男性にとって脚、とりわけ太腿が空気に触れる状態は、まるでパンツ1枚でいるような錯覚に陥るのだ。
 第2に、まわりの目がある。女装をしていると、どうしてもまわりから見られているような錯覚に陥り、落ち着かなくなるのだ。まぁ、家にいるときにも落ち着かないのだから、この理由は付けたりのようなものだけれど。
 そして第3に、男性としての自覚の問題がある。留美の話ではないが、男性がスカートをはくことには、強い違和感を感じる。他人が穿いている場合、特に似合っている場合には、一時的にその人が男性であるという認識を留保できるのだが、自分が穿く場合には不可能だ。そう、他人がスカートを穿いているのに違和感を感じない場合があるのは、あくまでその人を一部「女性」として見ることが出来るからであって、自分の場合には、そんなことは出来はしないのだ。
 しかしどの理由も、「なぜ女装が恥ずかしいのか」に対する、根本的な答えにはなっていない。逆を考えてみれば、ズボンを穿いてボーイッシュな格好をした女の子を変だと思うか、という話になる。いや、もっと突き詰めれば、男物のズボンとシャツを着た女性がいた場合、それを恥ずかしがるだろうか? まわりは、奇異と揶揄の目で彼女を見るだろうか?
 答えはノーだ。よほどのことがない限り、周りは気にも留めないだろう。
 ひるがえって、女装はどうだろうか。すね毛が見苦しくもないロングスカートだとしても、これを穿いた男性が街中を歩いていたら、周りは彼を奇異の目で見るだろうか? 自分がその状態で町を歩かされたら、恥ずかしいと思うだろうか?
 答えはイエスだ。スカートを穿いた男性は、見苦しくなくてさえも、それだけで人目を集める。
 確かにそう考えると、女装と男装の間には、これほどの大きな差があるのだ。その理由はどこにあるのだろう、そして……社長が言った、「根底にある意識」とは、一体何なのだろうか。
 良介はテレビを消し、目を閉じて、ソファの上に転がった。こんな休みの日にさえ、社長の言葉がよみがえってくるなんて。そう考えると、彼女の言葉は自分の心の深いところにある何かに、触れたのだろうか。
 ぼんやりとそんなことを考えながら微睡みかけた、その時だった。

 | HOME |