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十月兔

強制女装を中心とした小説・イラストのブログです。

2024-05

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強制女装考 第一回(2)


 第二回 女装について(2)

 大空ひばりと同じタイプ、つまり外見的にも性格的にも「可愛い女の子」を地でいきながら、性別が男性であることだけが問題である例としてもう一人、新井素子先生の小説『……絶句』に登場する宮前拓くんを出しましょう。テレポーターで外見美少女、サロペットスカートがばっちり似合っちゃう男の子で、吾妻ひでお先生の挿絵も可愛いです。こちらも「決して負けない男」森村一郎に果敢にアタックします。拓くんの場合、自分が男であることに対する葛藤もしっかり描かれていて、なかなか深みのあるキャラクターです。
 つづいては、私が幼少のみぎりに読んだ、れもんちゃん(♀)とらいむくん(♂)とが入れ替わる漫画(タイトルが思い出せません)や、やぶうち優先生の「少女少年」などが挙げられます。……、年数えないでください。
 このうち「少女少年」は、特に興味深い漫画です。全部でⅠからⅦまでありますが、Ⅳをのぞいては「何らかの目的があって芸能界にはいるため、女装してアイドルになる」というプロセスを辿っています。もちろん最初のシーンでは女装に対して羞恥を示しますが、嫌悪を示すことは殆どなく、物語が進むにつれて「女装」も主人公の一部になっていきます。
 またこの漫画では、女装に対するネガティブなイメージはありません。一方で、女性化願望といいますか、主人公が心まで女の子になりきることもありません。最後は女装をやめて、男の子に戻ってお終い、というのが基本線です。
 この辺りのコンセプトは、「少女少年~GO! GO! ICHIGO~」とは異なります。いちごくんはどちらかというとひばりと同じく、性同一性障害に近い特徴を持っています。しかも最後の最後まで女装して終わりますから、主人公の女の子との関係も男女のカップルではなく、むしろレズビアンな状態です。……どうでも良いですけど、このあと杏といちごが****するとき、どっちがどうなるのでしょうね。
 さらに話を進めると、竹宮恵子先生の「behind」に登場する姫こと姫川基くんも、女装シーンがあります。彼の場合女装を楽しんでいる節もありますが、必要があって女装するタイプですし、基本線は男です。あと、青池保子先生の『エロイカより愛をこめて』の主人公、ドリアン・レッド・グローリア伯爵も時々女装します。
 また織田綺先生の「天然はちみつ寮」に登場する桜坂光は、自分から進んで女装をします。ただ彼の場合、ほとんどコスプレ感覚ですね。自分が可愛いから女装しないなんてもったいない、という感覚。本人自ら、「俺は『女装の似合う男』であって『女になりたい男』じゃない」とはっきり述べています。こちらも性同一性障害、あるいは女性化願望の様態を示してはいません。この「天ぱち」の場合、終わり方がけっこう独特で、光は男性として主人公の女の子と付き合いますが、女装はやめません。
 つだみきよ先生の「プリンセス・プリンセス」、略して「プリ・プリ」ですが、男子高校にある「姫」制度で、三人の高校生が女装させられます。こちらは私生活では女装しませんし、漫画自体、少年達の心の葛藤がテーマとなっていますので、なんというのでしょう、女装は非常に二次的というか、付けたりのように感じます。むしろ「女装しても損なわれない男性性」であるがゆえに、女装によって少年性が強調されているようにさえ思えるのです。

強制女装考 第一回(1)


 『強制女装考』 第一回 女装について(1)


 えーと、神無月です。本日からはちまちまと、神無月が強制女装について思うところを、思うがままに書き連ねていきたいと思います。

 強制女装、と言うのも面白い現象です。なぜ男性が、社会的には恥とされている女性の装いを求めるのでしょうか。それも他人から強制され、衆人環視の中を引き回される恥辱と屈辱を求めるのでしょうか。
 現代のサブカルチャーは、様々な形で発展しています。ロリコン、ショタコン、やおい、BL、JUNE、少年愛(それぞれジャンルが違うのでややこしいっ)、薔薇、百合、おいや、SM、女王様、さらに触手、妊婦、四肢切断、スカトロジー、幼児退行、おむつなど。ここで網羅していったら、それだけで今日一日分のスペースを使い切ってしまいそうなほど様々なジャンルが飛び交っています。
 その中にあって、強制女装というジャンルもまた、コアなファンを持って一角を形成しています。ですが、この強制女装というジャンルは、いっけん極めて似たジャンルである女装少年とは一線を画します。とんでもないことを言っていると思われるかも知れませんが、強制女装はいわゆる「女装少年」にカテゴライズされるものとは、まったく別物なのです。強制女装を求める方が、自らを重ね合わせるようにして女装少年を好むことはもちろんあると思いますが、本質的にはこの二つはまったく違います。
 まずはこのことを言うために、女装少年の歴史について、ざっと振り返ってみましょう。乏しい知識で恐縮ですが、補足すべきがあればどんどんご指摘下さい。

 女装少年の嚆矢は、なんと言っても江口寿史先生の漫画『ストップ!!ひばりくん!』に登場する大空ひばりくん。いえ、もちろん『鉄腕アトム』や『バンパイヤ』にも女装シーンはありますし、永井豪の『おいら女蛮!』でも女装する悪童が出てきますが、これはもう必要に迫られての女装だったり、あるいは少年のエキセントリック性を強調するだけの物ですので、割愛します。
 それで、ひばりくんです。彼はやくざの一族大空組の一人息子でありながら、美少女の外見と、ちょっとコケティッシュな心を持ち、同居することになった主人公に迫ります。その勢いたるや、夜中に彼のベッドに潜り込み、ベビードール一枚で迫るほど。
 これは、すでに他の方が指摘なさっている(*)ことですが、ひばりくんは完全に「(男性にとって)理想的な美少女」としての特質を持っていて、ただ男性であることだけが問題なわけです。ですから、主人公の少年も据え膳に手をつけようとしないわけで、そこでドタバタラブコメディ、他の女の子が出てきたり男だとばれそうになったり、いろいろとあるわけですね。
 女装というジャンルから見れば、ひばりくんは明らかに性同一性障害、それも性的に女性として扱われたいというトランスセクシュアルの特徴を示しています。男性が女装する事への抵抗や恥じらいは全くなく、それどころか特別なことをしている意識さえありません。彼にとっては女装しているのが自然なので、むしろ男の子の服を着せられたとすれば、その方が違和感を感じるのでしょう。
 
 (続く)

  * 中島梓『コミュニケーション不全症候群』(筑摩書店)

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